2021.6.12~6.13 日生劇場
宮本益光訳詞による日本語上演
台本:ジュゼッペ・ジャコーザ、ルイージ・イッリカ
作曲:ジャコモ・プッチーニ
指揮:園田隆一郎
演出:伊香修吾
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
私が24歳のときの話。岡山で人生3本目のオペラ(三木稔「ワカヒメ」虚空役)に出演していた時のこと。
「君、ショナール歌える?」
演出家が尋ねてきた。
直感的にこれはチャンスに違いないと
「はい、大丈夫です」
と即答した。
「じゃあこのオペラが終わった翌月、倉敷でね」
今だから言うが、私はショナールが何か分からず、すぐさま同級生に電話して尋ねた。
「ねえ、ショナールってどんなオペラ?」
「え?ボエームのショナールじゃなくて?」
ウソのように聞こえるかもしれないが、これはホントの話で、私はオペラのことをまるで分かっていなかったのだ。それに私はボエームの楽譜すら持っていなかった。
しかし当時、私にはたっぷりの時間と若さがあった。私はこの役を一週間で暗譜した。しかも一人で。
今となっては、全てが考えられない。
緊張して臨んだ稽古場では、演出家・松本重孝さんの発する言葉が素晴らしく、ワクワクの連続だった。私は自分以外の役に対する指示も全てメモした(今も大切に保管してある)。台本を読むこと、楽譜を読むことについて考えを新たにし、何より歌手に刺激を与えつつ自発性を重んじる懐の深さを目の当たりにして、
「ここにいたら自分はきっと上達する」
そんな気分に浸っていた。それが錯覚だったとしても、そう思えたあの時の自分は間違いなく幸せだった。
打ち上げのとき、私の前に座って強面のオジサンがずっと黙っていたので、気遣い王の私は話題を探した。
このオジサン、私の記憶では稽古場でセットなどの位置を示すテープ(バミリ)を貼ったり、道具を片づけたりしていた方だったので、私はねぎらいの思いを込めてこう発言した。
「オジサンのおかげでいい舞台になったよ。いつも稽古場の準備してくれてアリガトね」
その瞬間、明らかに周りが凍りついた。実はこの方、プロの舞台スタッフ集団「ザ・スタッフ」の菅原多敢弘さん…そう、舞台監督だったのだ。
「バカヤロー!お前は舞台監督も知らねーのか!ラーメン食いに行くから来い!」
1997年3月、宮本益光24歳の青春の舞台、その一コマである。